100年続く火伏の行事 オオカメさん

GWの最中の5月3日に、私が住んでいる松崎5区で船上神社例祭と呼ばれる行事が行われました。

船上神社は赤碕にあるので、なぜ湯梨浜で行われるのか?と思っていましたが、近くの畳屋さん伊藤さんがその由来を教えてくれました。詳しくは鳥取県立博物館の解説が詳しかったので、下記に引用しておきます。今でもご飯を供える習慣はあるのかわかりませんが、お賽銭箱はありますね。

松崎5区公民館の脇に小祠が祀られている。珍しい火伏の行事として百年以上も続いている。松崎は南北に長い街並が連なっており、火災が起こった時には大火事にみまわれることがあった。
藩政時代後期、寛政5(1793)年、全半焼合わせて47戸、文政5(1822)年、上町で40戸、万延元(1860)年、同じく上町で48戸焼失、また明治13(1880)年にも23戸が全焼する大火事があったことから、住民のあいだに水の神さまをおまつりする習慣が根付いたことが、その始まりだといわれている。
地区内の各戸に当番札が回り一軒ずつ毎日交替で水の神様「オオカメさん」に無火災と集落の繁栄をお祈りする。当番の家では、朝早く炊き立ての御飯を「へぎ」に盛り、祠に供える。そして当番札を隣家へ届け、夕方にはお供えを下ろしに行く。いまでも松崎五区と隣の旭区の一部で一日も欠かさず続けられている。
現在では、御飯にかわって賽銭をお供えしていく人もある。その後の松崎に火事がないのも「オオカメさん」信仰による防火意識のあらわれであると伝えられる。明治の中期になって、この地域に疫病が流行したことから、この病気の神さまといわれる「船上神社」(赤碕町)を勧請した。平癒した後も続けて毎年勧請していることから、この頃では船上神社と呼ばれるようになった。
この祠はもと、新町川、松崎橋のたもとにあったもので、昭和45年に前の五区公民館前に移され、さらに平成12年、原公民館新築移転と共に現在地へ移された。船上神社は赤碕町(現琴浦町)民にも「オオカメさん」と呼ばれており、疫病退散の神さんとして、大山北麓部に広く信仰されている。
鳥取県博物館資料データベース

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当日は風がビュンビュン吹く中、10人程度で祠の前に海の幸と山の幸をお供えして、疫病(現代だとなんでしょう?)と火事が起こらないよう祈りました。

松崎は今でも古い民家がスキマなく立ち並んでいるので、地域住民の火災に対する意識は高いと思います。年に一回のこの儀式もその意識の現われなのかもしれません。

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